2007年11月10日

初切り

     
「A,ベービー、3カ月、CL,CP。・・・・」
教授がクリニカル・カンファレンスで集まった若手医師達に目を巡らす。
CLとはクレフトリップ、すなわち口唇裂、CPとはクレフトパレート、すなわち口蓋裂を表す。
教授と目が合った。
「酒井はまだ初切りが無いな!よし、酒井だ。スーパーバイザーはH講師、しっかり指導してやれ!」
H講師が私に目配せをしながら答える。
「分かりました。」
私は内心(やった!)とばかり目を綻ばせる。
「はい!・・ありがとうございます。」
つまり、教授から『初切り』の許しが出たというわけだ。他のヤツに先を越されがちだった私も、やっと研修医(レジデント)として胸が張れる、というものだ。


クリニカルカンファレンスは毎週月曜日医局で開催される。翌々週の手術の術者を決め主治医が任命される。教育目的で若い医師に術式を説明させたり、意見を言わせたりもする。また難しい手術の意見交換で激しいバトルを繰り広げることもある。

医局というと特別な部屋を連想するかもしれないが、たいていは汚い倉庫のような所である。当時我々の属していた大学の形成外科学教室の医局は旧病舎のの4階の角にあった。もはや病室として使われていない昭和30年代の建物の一隅である。手あかで錆びきった真鍮のドアノブ。大きな音をたてるドア。真ん中に30人くらいが囲んで座れるようにして並べられたスチール事務机。正面にはやや大きなホワイトボードが掲げてある。しっくいの壁はところどころ穴が開いている。窓は今では見る事のできないスチール性で一部開閉ができなくなっていた。書棚以外は窓と壁際に安物のカウチが並べられている。当直の晩にここでうたた寝をし、白衣を掛布に朝まで横になってしまった事も多い。

今では信じられない事だが、当時は医局の机に吸い殻が山となった灰皿がいくつも置かれてあったのだ。
教授がいなければ、みんなぷかぷかタバコをふかしていた。


クリニカルカンファレンスの時はこんな医局にほとんどすべての形成外科医局員が集合し、彼らは暑く蠢いていたのだった。机周りに助手以上のスタッフ、まわりのぼろカウチには若い見習いスタッフが陣取っている。

カンファレンスが終わると若手医師の勉強会を兼ねるデザイン会が引き続く。
デザイン会では、研修医が若い順に、ある手術患者さんの手術デザインを白版に描かされる。教授に名前を呼ばれると皆の前で説明を加えながら絵を描いていくのである。まるで美術学校のようだ。
1年生は、前へ押し出されたものの顔だけ真っ赤にしてなにもできない。学年が上がると中には「ほ〜」と感嘆の声を挙げられ、得意そうにする者もでる。

最後は教授が、海外の文献等広い知識を披露し総括が行われる。
続いて、英語論文の詳読会が行われる。ここで英語のテクニカルタームを覚えるとともに、基礎から応用まで形成外科の学問を習得するのである。

最後に学会発表の演習、論文掲載の報告、基礎医学また博士号研究等が学年別に報告される。教授はもとより先輩医師の学者ぶりや高度マエストロぶりにいつもあこがれをいだかせられた。半面、いぶかしがられる先人にどうどう反発をする後輩医師もいて、なかなか人間模様が複雑であった。
しかしながら、先輩は絶対的存在という軍隊的発想はいまだ衰えずの感があり、
これがまさに大学医局の年功序列なのである。


大学の医局には各科別のトップに主任教授が一名在籍する。会社でいうと部長にあたるのだろう。時に院外教授が一名、主任教授が特に優秀と認めた医局スタッフのセカンドで名目とも教授の器の医師が専任されている。そして助教授が1〜2名、講師が2〜3名、これらがいわゆる役職である。その下に助手が数名いる。いわゆるスタッフドクターと言われる医師は助手以上を指し、助手の位から大学から給与が出るのだ。
研修医を卒業し専門医試験に合格し、めでたく専門医と認められても、医師は大学ではなかなか助手にはなれない。席が空かないのだ。このような若手医師は前期助手等と呼ばれ、医局には属しても給与は支給されない。

この時期、若手医局員はバイトで日銭を稼いでその日暮らしをする。夜勤はもはや常識である。48時間勤務も「普通」、労働基準法なんてまったく無視されている。
研修医(レジデント)とは医師国家試験に合格し世間体には医師になった後、医局入局試験に合格した、修業者達である。入局後7年にわたり専門医になるべく訓練を積まされるのだ。研修医はれっきとした医師ではあるが「半人前」のレッテルである。がんばらないと7年後の専門医試験に落ちてしまう。


しかし、「一人前」と言われる「専門医」になるには7年も冷や飯を食うわけでこれがかなり辛い。医学部に入る前に浪人し、医学部時代に留年し、医師国家試験も数回落ち、なんて人生を無駄にしてしまった者にとって、その後の専門医への7年の月日が長過ぎて、「もう!やめだ!」とばかりにドロップアウトする輩も多いと聞く。
例えば、脳外科を目指していた若い医師が5年でドロップアウトして、次に形成外科に入局してもそこからまた7年なのだ。
試験に弱い御仁もいる。けっしてぼんくら医師とは思えない人が
「おれ、来年になっちまった・・・」
とがっくりしている事もある。


この研修医時代最大の「華」が「初切り」である。
各大学の教室(これを医局とも言うのであるが)にはテーマとなる治療法や研究がある。
私の属している大学の形成外科学教室では唇裂、口蓋裂がメインテーマである。だから、我々にとって、研修医時代にはじめて唇裂や口蓋裂の手術することが「初切り」なのである。


もちろんいきなり手術をするわけではない。初切りまで4年間くらいは教授や先輩の手術を幾度となく見学する。毎週のように勉強会で知識をたたき込まれる。それだけではなく助手として手術に参加し教科書では得られない実技を学ばせてもらう。
例えば、小さな三角形の皮弁の角度やその位置により微妙に口唇の形態を変えていく技、意味のないようで実は要となる一本の糸、等々。
しかし、教授や先輩達は甘くはない。

「先生、今の縫い方は何かわけがあるのでしょうか?」
「うむ、よく気付いたな。実はな・・・」
と、先輩や教授を攻めていかねば何一つ教えてくれない。
そして、彼らはひそかに我々を評価しているのである。
(そうか、こいつも大分分かってきたようだ。)
となって、はじめて初切りをさせるという手順なのだ。  


わたしの属していた大学病院では「十八番(おはこ)」というくらい形成外科が有名で手術件数も日本でトップをキープするくらいであったから、火曜と木曜の大学病院の手術室はほとんどが形成外科の手術で埋め尽くされていた。
当時のこの大学病院の中央手術室はかなり古びていた。まず、壁がお風呂屋さんのようなタイル張りであった。そろそろモジュラー手術室といわれる薄いグリーン色のホーロー敷きの壁があたりまえの時期にである。
12台の手術ベッド数も大学病院としては少ない方であろう。こんな中で1日40件にも及ぶ手術が行われていた。
なんといっても唇裂や口蓋裂の手術が軒を並べるのだ。
時に顔の骨の奇形や耳が無い子供、指がくっついていたり欠損している赤ちゃんもいる。
交通事故等で受けた顔の傷痕、顔面骨の骨折。
時にやけどの植皮もある。


その中で私を魅了していたものは目や鼻の微妙な形態形成の手術であった。
眼瞼下垂の手術では、二重まぶたを形成しながら目をぱちり開くようにする。手術する前と後では患者さん全員がとてもかわいらしく変化するのだ。
機能の改善だけでなく人としての美しさを表現する芸術的な手術だと感心したものだ。
鼻の手術も微妙だ。目のように派手ではない。しかし、気品さとでもいうのかとてもスマートな手術だと感じた記憶がある。
とにかく頭のてっぺんから足指の先まで、全身あまねく手術対象とするのが形成外科であった。


さて、この赤ちゃんの主治医は私である。まだ、生後3か月。
やさしそうな麻酔科のベテラン医師により深い眠りに落ちている。
右側の鼻の穴から唇にかけてきれいに割れている。まだ、歯は生えてない。
目が大きく二重まぶたがくっきりした、とてもかわいい女の子だ。
どうして口が割れて生まれてしまったのか?
原因は分からないが、世界で最も多い奇形である。


麻酔科の医師に挨拶をし、ピオクタニンという青色のインクと消毒した爪楊枝で赤ちゃんの唇に手術のデザインを描く。
基準点、それから伸びる線。
ポイントは小さな三角皮弁だ。この大きさや角度が手術後の上唇の弓状形態(キュービットボウ)に大きく影響を与えるのだ。
隣に座る講師のH医師を振り向きながら、
「こんなもんでいかがでしょうか?」
「これで縫ったら、左と右が合わないジャン。三角も・・・ほら、上過ぎない?ねえ!」
という感じで、自信たっぷりのデザインは虚しく消え去るものである。


おおよそデザインができても教授にチェックしてもらうまではメスを入れることは許されない。教授はあちこちの手術台を回っているため、しばらくはウエイティングだ。

「どうだ?・・」
やっとボスのお出ましである。赤ちゃんの顔に描かれたデザインを見たのはほんの一瞬だった。
「まあ、よかろう。始めなさい。」
「ありがとうございます。」顔をあげてみたが、教授はもう後ろ姿である。
H先生を見る。ちょっと眉を上げうなずいた。


「お願いします!」
これが手術始まりの恒例の挨拶である。
メスを皮膚に入れた瞬間が手術の始まりではない。術者が「お願いします。」と軽く頭を下げるのが、どんな科の手術でも手術始まりの合図なのである。
術者が麻酔科医、看護師、助手に「この手術がうまくいくように協力してください」と挨拶をする一種の儀式なのかもしれない。


手術そのものが初めてではないのでデザイン自体が信じられれば、メスはとどこおりなく進む。ただし、形成外科は細かいメスさばきを要求される。メスの勢いは大切だがスピードは禁物であろう。
特に初心者なればなおさらである。次から次へと先を急ぎたくなる気持ちを抑えるのだ。
口輪筋のつり上げ作業にさしかかった。簡単なはずだったのだが、うまくこのあかちゃんの口元が表現できない。
「あれえ・・・?」
「・・・・・。」
H先生は何も言わない。しばらくすったもんだする。
ついに耐えきれず、
「先生・・・。」
「支持部位が筋の端すぎるんだよ。ちょっと中に針をいれてみい。そおそお。筋が少しだけ回転するだろ。で、しっかりANSに縛り付ける。どおだ。」
「なるほど!了解です!」
「君が最初にやった感じでいい場合もあるけど、口角が下がっている場合はこんなテクもあるのさ。」
そういえば、大分前に先輩が手術中悩んでいたっけ、なるほどね。
あの時はまるで分らなかったし、気もつかなかった。


小三角弁の縫合に入る。縫合針をさらに小さいものに変える。
ここで意外に深く針を通すのがコツだったはず。
なんとか通った。と思ったとたん、
「ダンチ!・・やり直しだ。」
H先生の激が飛ぶ。
皮膚の縫合面が段違いになっているということなのだ。さすがよく見られている。
形成外科の縫合には「まあ、いっか。」という妥協は許されないのだ。
今の私は顕微鏡を使って完璧を狙っているが、思えばこのときから皮膚と皮膚の縫合面の高さを合わせに躍起になり始めたのだろう。
そして手術手技は終了した。あまり手術時間が長いと指導医にメスを取られてしまう。おそらくぎりぎりだったと思う。
しかし、まだ手術は終わっていない。教授の最終チェックが入るのだ。
看護師が教授に終了を伝えに走る。


厳しい表情からふと目元がほころび、教授は一言告げる。
「どれ。・・・ここがちょっと長すぎるなあ。・・・あとはいいか。H先生あとはよろしく。」
「ありがとうございました。」
後ろ姿の教授はちょっと手をあげるといそいそと立ち去った。


最後の教授指摘部分を修正し、やっと手術を終了する。
手術終了の合図は皆に向かって
「ありがとうございました!」
と挨拶をするのである。
麻酔科医師が全身麻酔をさまし、あかちゃんが鳴き声をあげはじめるのを待つとしよう。


こうして行われた手術結果は教授の行なったものとほとんど差は無い。確かにデザインや手順はまず私が考えたものだが、実技では次々に修正されていく。ある意味で「教授流」になっているのである。
細かな技術も細部にわたり教授の技法が伝授されているのだ。
縫合技術さえしっかりしていれば唇裂初心者の私でさえ、その手術は完全に教授の、模倣として完成度は高いのだ。
大学病院という研修場所で私たち若手医師は次の世代の師匠と呼ばれように、秘密の技を伝授してもらうのである。いずれは独立しどこかで師匠とよばれる時まで日本最高位の医師から奥義を盗み自分のものにしていくのだ。


患者さんの口コミや評判の中に、「・・の病気なら・・病院がいい!」というのがあるが、これはつまり、その病院には師匠がいるということなのだ。
もちろんそれをあがめる弟子も多数集まってきてレベルが全体に高いのである。
その師匠に初舞台を仰せ付けられれば、医師としていっちょまえの第一歩であろう。
しかし、まだ、道は遠く長い。

2007年08月30日

ふたえに始まりふたえに終わる

「山手線大塚駅近くまでお願いします。」
「はい、わかりました。で、どう行きましょうかね。」
先日、ちょっとした用事の帰りだったがとても疲れてしまってタクシーをひろったのだった。東京に住んで長いが、私は方向音痴のうえ、とんと道が分からない人間である。
「ああ、この時間空いている所をうまく回って下さい。おまかせします。」
「わっかりました。・・・じゃあ・・・」
ドアを閉めると同時に走り出す。右、左、細い道、なんのよどみも無くすいすい車は進む。外苑東通り、ここは知っているぞと思うまもなく左折、いつのまにか評判の遊園地のジェットコースターが見えてくるとまもなく春日通りだ。プロだから、とは思うが、やはり才能というか、体が覚えこんでいるのだろう、すごい!と思わざるをえない。
いつの頃だっただろうか、都内のある所へ自分の車で行こうと思いカーナビだけでは安心できず、地図を徹底的に調べ、頭に入れたつもりだった。あそこを右、目印は・・、次に・・の目印を左、一方通行の細い道らしいが注意をすれば行けるはずだった。ところが、途中で全然分からなくなった。地図のとおりに行くと違うところに出てしまうのだ。いや、地図のとおりの場所が無い、そんな感じである。
「失敗した!タクシーで行けば良かった!」
結局、目的地に到着するのにすごく遅れてしまった経験がある。


外科医の行なう手術にも同じようなことがある。
解剖図や手術書を見ると「外科手術」は簡単そうに感じるのだ。ここを切って、ああして、こうして、・・・ちょちょんがちょん。なんだ、簡単じゃない!
手術の助手をする場合このように予習をしてから、プロの外科職人の仕事をつぶさに観察するのだ。ふんふん、なるほどなるほど、教科書で調べたとおりだ。なんか、俺にもできそう・・。しかし、実際は思ったように簡単にはいかない。


形成外科をある程度習熟した形成外科専門医が始めて美容外科に出会うのはたいていは「ふたえまぶたの手術」である。
実は大学病院等形成外科専門施設では、形成外科専門医が「美容外科」に出会いこれを研修するのは最後の段階なのである。そこで形成外科専門医がはじめて美容外科として着手するのが「ふたえまぶたの手術」なのである。すでにそうとう経験を積んできた形成外科専門医にとって「ふたえまぶたの手術」は実に簡単に見える。ひょっとすると形成外科専門医として上を狙っている者にとって、「ふたえまぶたの手術」は物足りなく感じるかも知れない。そろそろ面倒がいやになってきた形成外科専門医にとって、「ふたえまぶたの手術」は美容外科医として独立したくなるきっかけになるかも知れない。いずれ「ふたえまぶたの手術」は美容外科への入り口になるのである。

施術前 施術後
施術前施術後

上眼瞼(上まぶた)の解剖学的知識は形成外科専門医試験ではもはや常識の部類に属している。であるから、形成外科専門医にとって「ふたえまぶたの手術」は机上理論やイラスト的には完全に理解し頭に入っているはずである。ところが、若き、形成外科専門医がはじめて「ふたえまぶたの手術」をすると、たいていの者は途中で迷いが生じてくる。
理由の一つは生きた実際の人のまぶたは手術書のイラストのように簡単に筋肉などが判別できないからであろう。最初は挙筋腱膜とミューラー筋すら区別できない。
もう一つの理由は、手術目的が単に症状の改善ではなく「美の追求」というかなり微妙な線を完成させなくてはならないというストレスであろう。

縫合した状態
縫合した状態

例えば、切り裂いてしまった皮膚をきれいに縫うという事なら形成外科的縫合技術のみが問われる事になる。
しかし、ふたえまぶたの美しさ、と言われると、単純に縫合技術がうんぬん以上の何かがある。患者さんの希望と要求をできるかぎり現実のものにするという美的センス、また、それを表現する技術である。ふたえまぶたのデザインの場合、ふたえの巾以外にも、ふたえまぶたの弧の方向、ふたえまぶたのくっきり度、ふたえまぶたの厚さ感、上まぶたの挙がり具合、等々、ポイントはいくつも存在するのである。それぞれ、どこをどうすればこの微妙な表情を表現できるのか?残念ながら、教科書をいくら読んでも、どこにも答えは無い。
実は、幾度となく繰り返し経験したことの積み重ねが微細な表現を可能にしてくれるはずなのだ。もちろん基本的な知識の習得は当たり前である。その解剖学的、あるいは生理学的知識の上に経験を生かしていく。一例一例確認をしながら、長い経験を積み重ねていくのだ。だから、経験の少ない若い形成外科医とって、たかだか「ふたえまぶたの手術」で迷いを感じるのである。
長年東京の街を走り続けているタクシーの運転手さんが、いかなる場所からでもお客さんの命じる、いかなる所へもすいすい行けるのは、単に東京都の道路図を暗記しているだけではないのに違いない。毎日の経験と努力がなせる技なのであろう。


よく抜糸を終わると「もう、来なくてけっこうです」等という美容外科医がいる。とんでもない話しである。自分の手がけた手術は抜糸から術後の経過まで十分観察をうべきである。できたら6ヶ月後の状態までは観察するべきであろう。
自分の思ったとおりにうまくいっているか?
患者さんは満足しているか?
もし、うまくいっていないとすれば何に問題があったのか?
カルテの手術記録を紐解いて反省する。この積み重ねが無ければいくら手術を経験しても発展はしない。


さて、ついでだからどのようにして「ふたえまぶたの手術」が完成するかということを説明しておこう。
まず、患者さんのまぶたの立位での観察から始まる。正面から、さらに横側から、まぶたの皮膚の厚さや挙がり具合、垂れ込み度を観察する。次に患者さんの希望をつぶさにり聞いてみる。できない事は「それは・・・という理由でできません。」とはっきり言う事も大切だ。
この後0.2mm単位で手術のデザインをする。ポイントは
1)切開の位置
2)皮膚の切除量
3)皮下組織の切除量
4)挙筋腱膜に対する処置の有無
5)眼窩内脂肪の処置の有無
である。
顕微鏡下での手術メスの入れ方の注意点は力を入れないことだ。すーっとメスを走らせる。力が入りすぎるとりと皮膚が凹み、思った所にメスが入らない。デザインしたところからズレてしまうのだ。瞼板前組織の切除量は注意が必要だ。取り過ぎたり、瘢痕で硬くなると眼瞼下垂様症状がでてしまう。挙筋腱膜を処理するなら、この薄い膜の確認が大切である。以外に膜が見つけにくいことも多い。縫合は比較的簡単かもしれない。しかしながら、この縫合法が丁寧でなければ手術痕が天然の「しわ」の様にはならないのだ。
私は傷の縫合には必ず顕微鏡を使っている。べつに裸眼でも十分見えるのだが、顕微鏡を使うと別世界が開けると思うのだ。顕微鏡を使うと、傷の創縁がピッタリ合うのが確認できる。

縫合中
縫合後
縫合中縫合後

こうして「ふたえまぶたの手術」を行なえば行なうほどその手技の深さに驚かされる。一見簡単なようだが、簡単そうだからかえって難しいと気付く。経験しても、経験してもそのつど新しい発見がある。
だから、美容外科専門医は「ふたえまぶたの手術」に始まり「ふたえまぶたの手術」に終わるのだ。

こうして徹底的に「美容外科手術」を追求していけば、あえて宣伝なんかしなくても口コミで伝わる評判の良い美容外科医になれるのだろうか?

2007年08月22日

縫って、縫って、縫いまくる

「で、ここで皮下をこのくらいの厚さで剥離する。まあ、こんなもんかな。
ねっ、見える?・・・でだ、ちょっと止血して、・・・おっと、ここも出ているな・・・。じゃあ、針糸!、4—0白でいいかな。」
「先生、なんでこんなに剥離するんですか?」
「だからさあ、テンションを低めるためさあ。ほら、こうすると皮膚はびろーんって伸びるだろ。」
「・・・?」
「まあさ、そのうち分かるって。」
「さて、ここで剥離した皮膚をちょっとフックでめくってと、このあたりかな、こうして針糸を真皮にかけるように通すっと。・・・で、こいつをちょちょいと結ぶんだ。ちょってやってみい、練習してたんだろ?」
「はい!」
「なにやっていんだよ、もっとしっかり結べよ。・・・まあさ、最初はしょうがないけどさ。練習しとけよ。」
「・・・すみません・・・」
入局したてのフレッシュマン医師が先輩医師について手術に入ると、こんな感じである。まるで、手品を観ているようで、さっぱり要領をつかめない。
つい最近まで国家試験の受験勉強しかしてなかったのだから、もちろんあたりまえとは思う。しかし、形成外科職人をめざし形成外科に入局したわけだから、なんかとてもくやしいのである。
「先生、ちょっと縫ってみてもいいすか?」
「だめに決まってんだろ!素人に大事な患者様を任せられかってんだ。アホ!」

ますます、くやしさが込み上げるが、医師の世界では先輩は絶対的存在だ。
「まずさあ、スポンジあたりで練習しろや!。いい口コミを教えてやる。東急ハンズで売っているスポンジはいいって評判だぜ。」

後日、休日の日に評判の東急ハンズに行って、当のスポンジを購入する。以外に値段が高い。たまたま通りがかった、違うフロアーにクッションを作るコーナーがあって、中身のスポンが売られていた。さっきのものに比べるとかなり安い。なんだと思いこれも購入する。
手術見学の際、手術部の看護師にたのんで、使わずに捨ててしまう、余った糸をもらってくる。1回使って捨てる使えそうな針ももらう。外科手術の材料はすべてディスポーザブル(使い捨て)でけっして失敗して捨てたものではないわけだから、けっこう使えるのだ。あとは持針器(外科針を支持し組織に糸を通す、外科ではおなじみの道具)とピンセットを借りる。ハサミはどんなヤツでも良い。
さっそく例のスポンジを切って、1cmくらいの厚さで剥離し、糸をかけてみる。
高いスポンジは、なんかもったいないような気がして、安いやつから使ってみた。ところが安いスポンジはスコスコしてうまく糸がかからない。ちょっと力をいれればすぐちぎれてしまう。なんとか太い糸で大股に糸を掛け結んだ。辺縁はまったく合わさらず。左が右に覆いかぶさってしまう。
「なんだこりゃ!・・・」
がっくりしてしまうが、めげずどんどん練習する。
ちょっと慣れ出したので、さっそく評判のスポンジを使ってみた。
全然感触が違う。ちょっと小さめの針や細目の糸もスムースに掛る。
「なるほどね。やっぱこいつじゃないとだめなのか。」
次の休日に奮発して、この評判スポンジを大量に購入した。
後日、このスポンジによる練習が、形成外科では基本技術である「皮弁(フラップ)」のテクニックの習得と、理論より体が覚える感じを掴むのにおおいに役立った。
その後、鳥の皮つきもも肉を買ってきて、板にくぎで肉と皮膚を貼り付け、これをメスで切って縫ってみる。多少は練習になるが、ぬとぬとして針のすべりが悪すぎる。こいつはあまり役には立たなかった。
次に、革ジャンの裏を切って縫ってみた。今度は硬すぎて針が曲がってしまった。こいつもダメだった。

フレッシュマンの医師は週に2回ほど先輩医師に付いて当直を経験する。当直室は狭く、おそらく監獄の部屋に似ているのだと思う。2段ベットでフレッシュマンは上のベッドで休む。
しかし、当直はチャンスだ。なにしろ昼間の手術では、絶対出番は無い。しかし、急患の場合、先輩が患者の処置をまかせる場合が多いのだ。もちろん手が付けられないほど重症の場合は別だが。
当直の夜はたいてい2〜3人の患者さんが、どこか皮膚を切って来院する。ときには救急車で来院されることもある。
ププッ、ププッ、救急センターからのコールだ。
「・・才男性。前額部を切って来院しています。至急お願いします。」
「ちょうどいいや。おまえやってみい。」
「ありがとうございます!」
ニコニコだ。しかし、先輩の手前自分の評価にもつながるので失敗は許されない。
まず、局所麻酔。
「ここ痛いですか?」
酔っぱらった患者さんが答える。
「ぜーんぜん、いいきもちだよーん。」
まず、デブリドメントだ。印をつけ先輩の顔をうかがう。
(OK!)目で答えてくれた。
デブリドメントとは挫滅した傷の周囲をメスできれいに切り取り術後、傷跡がきれいに仕上がるようにする基本テクニックだ。
印の上をやや内側にメスの刃に角度をつけすーっと刃を滑らしていく。
と、頭では分かっている。しかし、キキッという感じで引っかかってしまうのだ。手が震えてきた。
「おいおい、先生よお、あんた新米だろお。震えてんぜえ。俺は酒の被害者にゃなったけどよ、医療ミスまでされちゃあ、かなわねえよなあ!」
患者さんがおどけたように言う。
額に汗が浮かんでくるのが分かる。

とその時、救急外来の主任看護士の通称「評判のおばちゃん」がちょっと怒ったように患者殿に告げる。
「・・さん、先生はいまね、細かいところを丁寧に縫ってくれてんの。新米先生っていたってねえ、将来の美容外科の大先生になる予定の先生なのよ。少しはだまんなさい。だれでもさ、細かい事しようと思ったら、ちょっとは手が震えるじゃない。わかんでしょ!」
「へえへえ、悪うござんしたね。」
さすが、ベテラン看護師。私は肩の力がすっと抜けるのを感じる。
「すみませんねえ、新米で」
余裕すら出てきた。先輩の方を見ると、目が笑っていた。

縫合中縫合後

入局し6〜10カ月を大学病院で研修すると、次に待ち受けるのは関連施設の総合病院での麻酔科研修、一般外科研修と整形外科研修である。約2年間形成外科から全く離れて、まず、「医師」になる研鑽を積むのである。
転勤の前日、医局長が言う。
「いいか、明日からは形成外科で習った事は一旦全て忘れろ。君が研修する科の先輩医師から習う事を忠実に守るんだ。」
6カ月の麻酔科、救命科研修を終えると、私は地方の消化器外科へ配属された。
しかし、私は医局長の言いつけを守らなかった。


一般に外科といえば消化器外科をさしているくらい、消化器外科の手術は多い。
特に私が赴任した病院の消化器外科は市内どころかこの地方の評判がすこぶる良い。外来は連日のおおにぎわいだった。
ある患者さんに聞いてみた。
「あなたの住んでいる所からこんなに遠いこの病院までよくいらっしゃいましたねえ」
「口コミですよ。なにしろ、とてもSS先生は評判がいいんですよ。うちの近所の方も命拾いをしたって・・。」
胃、大腸、虫垂、肝臓、胆嚢、すい臓、乳腺、食道、全てが消化器外科の範疇だ。ほとんど毎日、患者さんの腹を裂く。
消化器外科では内臓の手術が終り腹膜を閉じると、もうほとんど手術は終わったも同然な感じになる。最後の皮膚縫合はいたって簡易である。
そこで、私は消化器外科部長のSS先生にお願いをしたのだ。
「先生、皮膚の縫合を自分にやらせて下さい。で、もしできたら、形成外科的縫合を鍛練させていただけませんか?」
「もちろんいいだろう。しかし、練習という言葉は使うな。君ももうほんものの外科医なんだ。単純に手術をさせてくれでいいんだ。ただし、あまり時間をかけるなよ。OP室は忙しいのだから。よし、がんばれ!」
「ありがとうございます!」
毎日一例、大学病院の形成外科で習得した形成外科縫合方を実践してみる。
ほとんどが腹部の縫合である。もちろん内蔵の手術時は雑用に徹する。腹膜を閉じれば、私の出番だ。
「よおし!あとは縫っておいて。」
部長が手を下ろす。第一助手の先生が私に目配せをした。皮下の中縫合が終わると助手の先生も手袋を取りながら言う。
「あとは皮膚だけだからいいよな。じゃあな。」
これから勝負だ。実は中縫合をもっと細かくやるつもりなのだ。
もうだれにも遠慮することは無い。徹底的にきれいに縫うぞ。
これでさらにこの病院の口コミ評判度合がアップするのだ。
きもちだけが先行する。
ふと、首筋に視線を感じた。顔を上げる。
麻酔科の先生がうんざりした顔でこちらを見ている。首をめぐらすと、看護師達も「はよ、せんかい!」みたいな表情だ。
やっぱし、徹底的は無理か。医局長の言葉を思い出した。
しかし、私はこれも「無視」したのだ。
後日少しづつ麻酔科の若手医師や中央手術部の看護師と仲よくなったため、最初の頃の冷たい視線は無くなったが、私も少しは手を休めるようにもなっていた。
この頃産婦人科の若手医師一人が急に大学に帰っていき産婦人科では医師不足になっていた。そこで土曜日の午後と私の研修日さらに日曜の救急帝王切開等産婦人科の手術に参加させてもらうよう産婦人科部長に頼みに行った。もちろん、消化器外科には迷惑がかからない範囲でだ。
産婦人科部長はとても良い人物で快く引き受けてくれた。
「若い医者が僕の前に立っているだけでもいいんだ。」
どう考えてもうざったい私を笑顔で迎えてくれた。そればかりか、子宮の特殊縫合をやらせてくれたたり、3カ月もすると帝王切開そのものをやらせてくれた。おかげで3人の赤ちゃんを私は取り上げる事ができた。優秀な外科医は未熟者の扱いがうまい。すぐどなったり仕事に手を出したがる職人は先輩としてまだ師匠の域に達していないのかも知れない、そんなふうに感じてしまう、産婦人科部長の先生だった。もちろん患者さんからの評判が良いだけでなく病院スタッフからも信頼される先生だった。
私にも気を使ってくれて若い患者さんの腹部を心ゆくまで縫合させてくれた。その頃には麻酔科の先生も中央手術部の看護士達とも打ち解けあっていたから、多少の融通は付けてくれるようになっていたのだ。
この時の経験は私の美容外科職人としての礎を築いてくれたことは言うまでもない。

縫合後

こうしてこの2年間に縫合した皮膚の傷の長さは200mに達したはずだ。その後さらに6年にわたり、形成外科専門施設でこんどは形成外科専門医から直接指導をうけながら形成外科職人になっていく。
これが今ではフェイスリフトや二重まぶたの芸術的縫合技術に発展していくのだ。そして行き着くところは「美容外科職人」なのである。

2007年08月21日

初めて人の命を救った日

救急車のサイレンが少しずつ近づいて来る。スタッフの顔に緊張が走る。しかし、額にうっすら汗を浮かべ、もっとも緊張しているのは当の私であった。
ここは能登半島の根元、七尾市では最も大きな総合病院の救急救命センターである。時刻は夜の8時を回ったころであった。
昭和60年代初頭といえば二昔も前になるであろう。七尾市は市内と言えども、いたるところに田んぼがあった。夏ともなればウシガエルの鳴き声がうるさいほどに響き、夜は田んぼに蛍の点光が一面に輝くのであった。
ウシガエルの鳴き声が救急車の到着とともにかき消されていく。

「いち、にい、さん、はい!オーケー」
救急隊員の掛け声とともにストレッチャーで患者さんが搬送される。
「バイタル・・・、血圧・・・、呼吸・・・、意識レベル・・・。」
「本日○○時頃△△海岸で・・・、テトラポットに激突・・・、××病院に救急搬送されるも・・・、脳外科専門医がいないため・・・、救急搬送要請があり・・・、脳外科専門医のいる・・・、貴院に転院を・・・。以上です!」
救急隊員の報告が続く。
片方の耳でこれを聞きながら、患者さんの診察を始める。
どうやら、脳挫傷のようだ。すなわち、じわじわと頭蓋内に出血が続いているのだろう。報告によれば搬送先の病院では意識があったという。それが徐々に意識が無くなってきたらしい。
CT検査が必須であるが、その前に気道を確保したほうが良さそうだ。
頭蓋内の出血は徐々に脳を圧迫する。だから、少しづつ意識が落ちてきたに違いない。最後に脳の呼吸中枢を圧迫し始めれば呼吸が停止するだろう。それは即座に「死」を意味する。

そこで、つい6カ月前に麻酔科で研修したとおり気管内挿管を行なう事にする。
ここまでは基本中の基本である。
「喉頭鏡!」
「ちょっと咽の所をおさえて下さい!」
・ ・・
「入った!」
(まず。第一関門クリアだ。ちょっと、ほっとする。)
とりあえず、酸素100%・・・必要に応じアシスト(人工呼吸)の準備。
そして血液検査、同時に CT室へ直行。
私は新米医者であるから、これから先は脳外科専門医にお任せである。
当直事務員に脳外科担当医に連絡を取るようにお願いする。

「どうですか?」
私はレントゲン技師の方に聞いてみた。
「うーん、結構やばいですよ・・。かなり圧迫が進んでいる。」
そこへ事務員からCT室に内線が。
「先生、脳外の■■先生とつながりました。」
「あっ、酒井君。どう?」
一部始終をせき込むようにして報告する。
「そうかあ。分かった。しかし、僕は今学会で**にいるんだよ。明日は午後帰る予定だったけどね。今から車を飛ばしても3時間はかかるよな・・。」
当時は脳外科専門医はとても少なく、特に地方では脳外科医は完全に不足していた時代だった。
「わかりました。先生がいらっしゃるのをお待ちしています。」
「いやいや、その状態では3時間後にはその患者さんはダメだ!」
・ ・・。
「酒井君、君が開頭したまえ!」
「えっ!」
「君は脳外科研修で、何回か僕の助手をしてくれたよね。開頭の仕方くらいはもう分かるだろう。一刻も早く開頭して頭蓋内圧を下げるのだ。出血のコントロールは輸血をしても何とかなるだろう。しかし、頭蓋内圧が亢進し続けたら・・分かるな?」
「しかし・・。」
「しかしもくそもあるか!ほっとけば患者さんはいっちゃうんだぞ。君だってれっきとした外科医だろう。えっ!」
「・・・。」
「大丈夫だ!僕もすぐ向かう。間に合う!」

■ ■先生には随分教わった。新米の私に横から指導をしながら開頭までさせく
れたものだった。大学病院では考えられない事だった。
麻酔科の医師はつい先日まで私に麻酔を教えてくれた指導医だ。
「がんばれよ、バイタル管理はまかせておけ!」
力強い味方である。
剃り上げた頭皮に一気にメスを走らせた。
順調だった。頭蓋骨を外し脳硬膜を開けると、ややどす黒い血液が流れ出てきた。激しい出血がおこっていれば、当然今まで持つはずが無い。基本的には「じわじわ出血」なはずである。
案の定、頭蓋内に溜まった血液を除去すると、新鮮血の出血はさほど多くなかった。
いくぶん患者さんの顔が穏やかになったように見えた。

程なくして脳神経外科部長の■■先生が手術室に入ってくる。
「うまくいっているそうじゃなか!まあ、簡単な手術だけどな・・。後は俺が完璧な腕をみせてやる。」
たちどころに手術室全体が明るくなってきた。
「鉗子!」
「ツッペル!」
「吸引!」
早い!
「よおし。彼は君の患者さんだ。丁寧に縫ってやれ。控室で待ってるぞ。」
患者さんをICUに移し、■■先生を呼ぶ。

「どうだ。君もいっちょまえになったじゃないか。彼は99%助かる。良かっただろう。さて、最後の仕事に行くか。」
「家族へのムンテラ(説明)ですね。」
「うん。」

■ ■先生のちょっと後ろについて説明室に入った。
家族達は不安そうな目を一斉に向ける。
だが、ちょっとおどおどするような感じで、丁寧に頭を下げてくれた。

「・・・というわけでして、とりあえず現在は落ち着いています。しかし、今夜が峠でしょう。・・・。」
廊下に出てから、私は■■先生に食いついたものだ。
「先生!99%助かるんじゃないのですか?」
「人間は難しいものだ。万が一を考え、家族をぬか喜びさせない事も覚えとけ。だが、おそらく明日には君は『命の恩人』って言われるはずさ。」
■■先生が患者から評判がいいだけでなく、大学でも最高の脳外科の教師だったと言われていた事を思い出した。
古き良き時代の外科医修業だったと思う。

こうして、美容外科医は「美容外科医」である前に「形成外科医」であり、形成外科医は「形成外科医」である前に「外科医」である。そして外科医は「外科医」である前に「医師」である。そして医師は「医師」である前に人間である。
こうして私は外科職人を目指していったのであった。

2007年08月07日

ミクロの広がり、手術用顕微鏡

形成外科専門医でもある美容外科医にとって手術用顕微鏡は必需品である。我々が行なうきめ細やかな操作を必要とする手術にはなくてはならない物なのである。
手術用顕微鏡
たとえば{ブレファロプラスティー}と呼ばれる、眼瞼(上まぶたや下まぶた)をはじめとして内眼角形成(目頭切開)や外眼角形成(目尻切開)、眼瞼下垂の手術はきわめて細かい作業内容が含まれるし、傷跡を極力目立たなくさせるには極細の糸で傷口をピッタリ合わせる必要があるのだ。さらには傷跡修正の手術や鼻翼形成(小鼻縮小)上口唇短縮術(鼻下を短くする手術)、鼻柱形成(鼻の左右の穴の真ん中を前に出したりひっこめたりする手術等)、また乳頭の形成手術では顕微鏡を利用して丁寧に縫合したものと肉眼だけで縫合したものではその結果がかなり異なってくる。肉眼では丁寧に縫ったつもりでも、顕微鏡でのぞいてみると微妙に縫い代がでこぼこしているのだ。これを顕微鏡でのぞきながら傷を縫うと辺縁どおしがピッタリ合うのだ。肌質にもよるが、手術用顕微鏡を使って縫合すると抜糸後半年くらいで傷跡が落ち着き始めると、どこが傷跡なのか分からなくなってしまう事も多い。であるから、こだわりのある美容外科医や形成外科医は細かな手術では必ず顕微鏡を使用する。
顕微鏡下での手術
形成外科専門医ならだれしもが慣れ親しんでいる技術が「マイロクサージェリー」である。
この技術では直径1mmにも満たない毛細血管や神経を繋ぐのである。ただ単に繋げるだけでは意味が無い。血管なら血管空を潰さないように血管の周りに8本の糸で血管壁を接着する。再接着後一度止めた血液を流すと接着箇所より抹消の血管にすべらかに血液が流れなくてはならない。しかも血液が漏れる事は許されない。
なにしろ直径が1mmであるから、髪の毛の1/5ほどの太さの糸を使用し0.2mm
間隔で縫い込んでいくのだ。
こうして、切断された指を再接着したり、血行を保ったまま組織を丸ごと移植したりすることができるのである。
もちろん、すぐ、こんな技術を習得できるはずはない。練習、トレーニングが必要になる。
形成外科専門医を目指そうとする医師はまず形成外科専門医養成施設(形成外科研修施設)に入局(医師の世界では就職のことを入局と呼ぶ事がある)しなくてはならない。専門医の卵達は入局試験に合格し入局を果たすと、形成外科専門医試験受験資格を得られる7年間という長い時間に向かって、研修、トレーニング、雑用に励むのだ。
この世界では日常的に先輩医師(専門医を取得した医師)が顕微鏡をのぞきこみながら手術をしているのを目にする。おのずと自分たちも練習しなければならないと自覚する。
私がはじめて手術用顕微鏡をのぞいたのは、入局後1年くらいたった頃であろうか。やっとの思いで顕微鏡手術の練習ができるような環境にめぐり会えたのである。私にマイクロサージェリーのテクニックを最初に伝授してくれたのは
当時私が勤務していたある総合病院の整形外科の若手医師の先生であった。彼は整形外科のなかでも「手の外科」を専攻していたため、自分の専門の手術をする時はいつも顕微鏡を使用していた。手伝いどころか、足手まといになるとは感じていたが見学のつもりで手術に参加させてらう。まず、顕微鏡に目を慣らさなければならない。最初の頃はめまいや吐き気、肩凝りに襲われたものだ。基本を習ったのち、毎日のように1日1時間程度と決め、細いシリコーンチューブを顕微鏡で見ながら接着する。当初は手が震えほとんど縫う事すらできない。ある程度顕微鏡が扱えるようになると、ねずみ(ラット)の腹部大動脈や足の動脈を切っては繋ぐことを繰り返し練習する。つぎに静脈を切断しては再接着する。静脈を繋ぐのははとても難しい。なぜなら壁が薄く、ぺたんとなるとなかなか内空を保ちながら血管壁を縫い込む事ができないのだ。これに成功するようになれば本物のマイクロサージェリーができるようになる。私の最初のマイクロサージェリーの成功は、人さし指を切断してしまったある患者さんであった。人の血管はねずみのものより太いため、実は本番のほうが簡単である。
こうして形成外科専門医を取得するころにはマイクロサージェリーは当たり前のテクニックになるのである。

私が大学に席をおきながら開業の道を選んだのは今から13年も前になる。開業医ともなり、おもに美容外科を専攻するようになると、マイクロサージェリーはもはや無用の長物になるかと思いきや、このテクニックは必要不可欠になったのである。手術用顕微鏡は大変高価であるから、なかなか買う事ができない。そこで最初のころは「額帯型顕微鏡」や「めがねタイプの顕微鏡(ルーペ)」を利用する。一般の美容外科医や形成外科医が良く使うタイプである。とても使いやすいが視野が狭いのと、もう少し倍率がほしい時にはやや不便を感じる。

額帯型顕微鏡めがねタイプの顕微鏡(ルーペ)
額帯型顕微鏡めがねタイプの顕微鏡(ルーペ)

手術用顕微鏡なぜ、こんな面倒なテクニックを使っているのかと言えば、かっこうをつけるわけではないが「向上心」だけである。手術用顕微鏡を使ったからといって手術価格が上乗せされるわけでもない。例えて言うなら、記録に挑戦するオリンピック選手の心境だろう。形成外科専門医である美容外科医が、「完璧な手術を目指す」ために超絶テクニックをマスターしたくなるのだ。

評判をあげたいなら、宣伝にいそしんだほうが早い。儲けたいなら、むしろマイクロサージェリーなんてやめたほうがいい。なぜなら、手術時間が倍もかかるからだ。丁寧な手術よりなるべく多くの患者さんを手術して売り上げを伸ばしたほうがいいはずだ。そうではなく、美しい手術、完璧な手術を目指すのが「美容外科職人」の魂そのものであり、究極の縫合技術が美容外科医の基本でなくてはならないのである。

形成会 酒井形成外科

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形成外科・美容外科・美容皮膚科・皮膚科・泌尿器科・婦人科
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